意外と知らない、「王」と呼ばれた男、アンドリュー・カーネギーとは

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アンドリューカーネギーという人をご存じだろうか。

アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie, 1835年11月25日 – 1919年8月11日)は、スコットランド生まれのアメリカの実業家。崩れ行く橋を見て着想を得てカーネギー鉄鋼会社を創業し、成功を収めて「鋼鉄王」と称された。立志伝中の人物であり、ジョン・ロックフェラーに次ぐ史上2番目の富豪とされることが多い。事業で成功を収めた後、教育や文化の分野へ多くの寄付を行ったことから、2014年の今日でも慈善活動家としてよく知られている。1889年の『富の福音』はフィランソロピーを志す人々への啓蒙書となっている。

参考:Wiki

かなり昔に活躍した、「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーだが、あなたはどのくらいご存知だろうか?

彼が、どういう思いで自分の事業を行っていたのかを知っていますか?

彼が、かなり貧乏だった生まれで、小卒で、教育も十分に受けていなかったのを知っていますか?

意外と知らない、Richest Personをご紹介・・・。

幼少期の経験が、後に大きな成果を生み出した。

幼少期が、ものすごく貧乏だった為、色々な人に良くしてもらった。

特に、自らが、スコットランドから、ピッツバーグ(アメリカ)に移り住む際に、船のチケットを手配したが、後程20ドルが足りないことが判明し、色々な人からお金を借りることが出来、なおかつ叔母は家も手配してくれた(家賃は無料)だった。

この経験が、後の彼の人格形成の中で、「人に対して良いことを行う」という行動に結びつき、窮地に陥ったりした場合には、色々な人が助けてくれたと言います。

億万長者となるきっかけは些細なことだった、

小学校を卒業してから、学業をしておらず、移民の子である為、ろくな仕事が無い。最初の仕事は、ボビンボーイとして週6日1日12時間働き、当初の週給は、1.2ドル。そして、次の仕事は、釜の火を入れる仕作業であった。

このままではいけないと思っていた矢先、叔父の勧めで、ピッツバーグ電信局で、電報配達の仕事に就く。この当時父親は反対していたが、誰にも関わることなく、一人きりで行う仕事に閉塞感を感じていた、アンドリューカーネギーは、親を説得しこの仕事についた。

ここから、真面目に働き、様々なスキルを身に着け、重要な地位の人と関係が出来たことによって、出世をしていき、億万長者になる土台をつくった。

その後、16歳で、ペンシルバニア鉄道のスコットから、引き抜かれ週給4ドルとなり、18歳には袱紗帳に昇進し、ピッツバーグの責任者に。

その頃、スコットから最初の投資についての支援を受け、アダムスエクスプレスの株式を500ドルで購入。その際手元にお金がないので、母と共に購入した700ドルの家を抵当に入れている。自伝の中で、カーネギーは、この投資のことを、「額に汗をかかずに苦労せずに稼ぎ出した、最初のお金だという風に書いてる」

という、彼も幼少のころは相当苦労している。だが、真面目に仕事にこなしていく中で、様々な人と出会い、覚えられ、色々な話が舞い込んで来るように、自ら事業を興すようになるのである。

ここまでのまとめ、

1.人に対して良いことをすれば、後になって反ってくるのは、本当に正しい

2.タイミングとは、自分の予期せぬ時に、予期せぬ形となって現れる。今回で言えば、電信局の仕事を叔父が持ってこなかったら?親が反対してそのままだったら?というような事柄言えると思います。

最後まで、読んでいただきありがとうございました!
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